実録イタリアのクリスマス : イブ編

太田胃散がとても好きで常に持ち歩いているのだが、飲みすぎた場合(酒をでなく太田胃散を)何か問題あるだろうか?教えてほしい。

 

 

わたしは今、イタリアのとある街に住んでいる。
イタリアの家庭におけるクリスマスとはどういうものであるか、今年それを体験してきたので書き残しておこうと思う。


日本ではクリスマスは恋人や友人と過ごし、年末年始は家族と過ごすのが一般的だと思うが、ここイタリアでは反対である。クリスマスは家族のイベントで、逆に年末年始は友人と騒いで過ごすような感じらしい。
そんなクリスマスに、この地で家族を持たず1人で過ごすわたしを不憫に思ったのか、今年はイブ、当日とそれぞれ別のご家庭のフェスタ(パーティー)にご招待いただいた。


イタリアというとカトリックの国である。そんな国のクリスマスの在り方には興味持っていたが、意外に形骸化してしまっているのかな?という印象を持った。イブは教会へクリスマスミサに行き静粛な夜を過ごす…という習慣は一部の人のものだとのことだ。多くの人にとっては、単に家族と食事してプレゼントを交換しあう日なのだろう。しかし彼らにとって大事な日であることは間違いない。


クリスマスが近くなると、イルミネーションが街を彩り、クリスマスに向けての商戦が展開されるのは日本と同じである。クリスマスツリーは多数見たが、七夕よろしく願い事を書いた紙が貼り付けられているのは不思議であった。また、教会や家庭には、プレゼピオという人形が飾られる。ジオラマ模型のような感じで、キリスト誕生の瞬間を再現したものである。小さく素朴なものから、等身大リアルなものまで様々ありいずれも見ていて楽しい。

 

 

さて、まずは12月24日、クリスマスイブの夜について書きたいと思う。
この日は公共交通機関の運行が抜け抜けになる。イブは皆休みたいのである。イブに限らずよく抜け抜けになってはいるのだが。
夕方にもなると街に連なる店舗も既に電気が消えていたりシャッターが降りている。この時間の街の人通りは少なかった。広場にもほとんど人がいない。皆家で過ごすのだ。


そんなイブの宵、私は一緒に招待された独り者の友人に家まで車で迎えにきてもらい、それに乗って知人宅へ向かった。実際にパーティーが行われるのは市内にある知人の実家で、普段そこにはお母さまがお一人で住んでいらっしゃるが、クリスマスにはこの家に兄弟姉妹やその家族、またはその友人知人が集まって食事をするのが彼らの習わしらしい。広いテーブルを総勢15名が囲むという、なかなか賑やかなものであった。


知人実家に到着したのは19時少し前くらいであった。持ってきたスプマンテ発泡ワイン)を冷蔵庫にしまわせてもらうと、中では既に数本のそれが冷え冷えになっていた。
前菜などはある程度既に用意されているが、その他の料理の仕込みはこの時点からその場にいる者で始める。といっても、男性陣はたらたらと居間でくつろぎ、子供達は遊び、女性だけがキッチンの中を行き来するのは日本の年末年始によく見る風景と同じである。そうしている間に面子がぼちぼちと集まってきて、それぞれの輪に加わる。食事がはじまったのは結局20時半頃であった。


前菜をテーブルに並べてまずは食前酒で乾杯をする。この日はベッリーニという、発泡ワインに桃の果汁を加えたカクテルであった。瓶詰めで既にカクテルとしての状態になっているものだったが、果肉がしっかり入っていて甘く、見た目も綺麗な桃色で実に華やかだ。ベッリーニを飲み干すと間髪を入れずにスプマンテがだくだくと注がれる。ふと隣に座る、ここまでわたしを車で連れてきた友人を見ると、既にガンガン飲んでおり一抹の不安がよぎる。


前菜がこのくらいかというくらいになると(前菜に限らず全ての料理は到底食べられない量が作られるので、食べ終わると、ということではなく)、女性陣がまたキッチンに向かい次の料理を作り出す。食事は小休憩である。たらたらと喋りながら飲み、子供たちは飽きて隣の部屋へ遊びにいく。
次の料理は様々な種類の揚げ物だった。地域にもよるのかもしれないが、イブの食事には揚げ物がかかせないらしい。中身は野菜やチーズ、白身魚などである。
イブというと我々にはターキーやチキンのイメージがあるが、ここではイブに肉は食べないそうである。そして翌日のクリスマス当日には肉料理が供される。
揚げ物も物凄い量がテーブルにガンガン運ばれる。わたしは「食べ物や酒を勧められたら絶対に拒まない、皿と盃の中のものは絶対に残さない」のが信条なので、既に胃は重くついでに頭も重い。しかしこの先にはパスタが待っていることも知っている。
パスタはシンプルな味付けで魚介と共に和えたもので、とても美味い。そして胃ははちきれそうである。


食べて料理してを繰り返すので食事には非常に時間がかかる。パスタが終わるとそろそろ深夜に近い時間になっている。子供達は眠いはずだが頑張って起きている。12時にプレゼントを開封するのを待っているのだ。


いよいよ日付けが変わり、何度目かの乾杯をすると、一箇所に集められていたプレゼントを持ってきて一人一人が皆の前で開封していく。そのたび皆でヲ〜とか言う。やはり子供へのプレゼントがメインとして集中するが、大人同士でも交換しあう。あまり高価なものは送り合わず、なんでそれ?みたいな物も多かったが(謎の籠、派手な柄のパジャマ、スーパーで買えるお菓子とか)、でもなんか楽しいし、それぞれが幸せそうである。何日も前からたくさんプレゼントを用意して、自分でひとつひとつ包んで、包みを開けるごとににこにこ喜んで、家族との時間を楽しく過ごそうという気持ちが見える。よそ者のわたしは主に皆の様子を眺めていたのだが、ふいにプレゼントをいただきとても嬉しかった。なんとも形容し難い謎の人形をもらったのだが、やたら嬉しく、幸せで暖かい気持ちに満たされた。酒のせいかもしれないが。


プレゼント開封もなかなか時間がかかり、この時点でもう夜中の1時くらいなのだが、ここで「甘いもの食べよう」となり、エスプレッソが運ばれ、パンドーロというケーキが用意された。
パンドーロは近年日本でもよく販売されているが、イタリアのクリスマスには欠かせないお菓子である。パンドーロの他パネトーネやその他の名称を持つものもあるのだが、まあ些細な違いで、いずれもシンプルで巨大なスポンジケーキのようなものである。クリスマス前や当日にプレゼントしあうので、何個ものパンドーロやらパネトーネやらの箱が室内のそこここにあった。その内のひとつを開封し切り分ける。巨大な一欠片が皿に盛られたので、もちろん全ていただいた。


この辺りからじょじょに後片付けが始まり、大量に残った料理は明日の昼食にまわされる。その場にいる人全員と頰にキスをして別れ、友人の車に乗り込む。彼がどれだけ飲んでいたのかを知っているので「大丈夫か?」と聞くと「当然だ。スプマンテとワインを何杯か飲んだだけだよ。」とのことである。実際彼の運転は通常時と変わらなかった(しかし基本的にわたしの目から見るイタリア人一般の運転は平素からおかしい)。深夜の街にはパーティーやミサからの帰り道と思しき人影がたくさん見えた。帰宅したのは夜中の3時前であった。

 

 

9時間後にはクリスマスランチが控えている。太田胃散を飲んで就寝した。
以後、次回。